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2008/11/13

衛宮切嗣とトロリー問題

今頃になって「Fate/Zero」のドラマCDを聞きました。
なにこの豪華キャスト。まあそれはおいといて。

しかし、小説を読んだ時から引っかかっていたのが、切嗣の行動原理。
「なんか、こいつおかしくね?」とか「言ってることが、何か違う…」とか、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、虚淵玄の疾走感あふれる文章にグイグイ引っ張られてラストまで行ってしまった、という人は私だけではないはず。たぶん。

今日は、そんなモヤモヤした気持ちにオサラバするため、すごく乱暴なアプローチをしてみようじゃないかー。

切嗣は極限の状況で、「より多くの命を救うため」に命の寡多を冷徹に計算し、常に犠牲の少ない方を切り捨てるわけですが。
高校や大学で倫理学を勉強したことがある人は「最大多数の最大幸福」という言葉を聞いたことがあると思います。人間の快楽と苦痛は計算可能であるとし、その最大化こそが正義だとする考え方。ベンサムの功利主義ですね。
切嗣の功利主義は、ベンサムの快楽計算をさらに単純化し、一人の人命を常に1と数え、単純に合計の多い方を選ぶというもの。
ぶっちゃけ18世紀の発想です。21世紀の人とは思えません。

経済とか政策とかの話であればそれでも構わないのですが、切嗣さんは「人命」を天秤にかけて苦悩します。
なんせ理論的バックボーンが18世紀なので、現実とのギャップを埋めることができずに苦しむわけです。

ベンサムの量的功利主義を語るときは、普通はセットでミルの質的功利主義も出てきます。
「満足した豚であるよりは、不満足な人間であるほうがよく、満足した愚かものであるよりは、不満足なソクラテスであるほうがよい」というのがミルの言葉。
これを切嗣の行動にあてはめると、誰もが必ずしも他者の犠牲によって救われることをよしとしない、という状況が考えられます。
そんな状況でも、いちいち切嗣さんは苦悩します。でも、量的功利主義に拘泥する切嗣さんは、あくまで「最大多数の最大幸福」を追求します。それを作者は「人であることをやめた」とか文学的な表現で誤魔化してるわけですが、要は理論的バックボーンが弱いために行動と感情が破綻しているに過ぎません。

実は、この手の話は昔からあって、「トロリー問題」として思考実験されています。
トロリー問題とは、以下のような状況でどのように行動すべきか?というもの。大学の倫理学の講義とかでよく出てきます。

・トロッコが線路に沿って走っている最中、制御が利かなくなった。
・このまま直進すれば、線路の上にいる動けない5人の人間が轢き殺されてしまう。
・トロッコを別路線に引き込めば5人を助けることができるが、その場合は引き込んだ先の路線上にいる別の動けない1人がトロッコに轢き殺されてしまう。
・あなたは切り替え機のそばにいる。トロッコを別路線に引き込むべきであろうか?

放置すれば5人が死に、手を下せば5人は助かるが1人が死ぬという状況。
類似問題に「カルネアデスの舟板」というものがありますが、これは「男が一人、沈む船から脱出し、浮いている板きれに捕まっている状況でもう一人の生存者がやってきた。板は二人分の体重を支えきれないと判断し、後からきた生存者を沈めて溺死させてしまった。この男は殺人罪に問えるか?」という思考実験。
現代の日本の法律では、この状況で後から来た生存者を殺してしまっても「緊急避難」として犯罪になりません。
(余談ですが、この手の状況は小説のプロットにもよく使われていて、SFでは「冷たい方程式」「たったひとつの冴えたやりかた」なんかが有名です。)

話をトロリー問題に戻すと、この状況では切嗣は常に1人を犠牲にして5人を救うはずです。
この問題を突き付けられた多くの人も、同じような回答をするらしいです。

では、ここで問題にひとひねり加えて、

・トロッコが線路に沿って走っている最中、制御が利かなくなった。
・このまま直進すれば、線路の上にいる動けない5人の人間が轢き殺されてしまう。
・線路の上に架かっている陸橋から一人の人間を突き落とせば、トロッコはその人にぶつかって止まることができる。突き落とされた人は当然死んでしまう。
・あなたは陸橋の上にいる。隣の人を突き落とすべきか?

さっきの問題と本質は変わらないんですが、このパターンでは多くの人は「突き落とさない」と答えるそうです。
しかし、もちろん切嗣さんは隣の人を突き落とすでしょう。もしかしたら、逃げられないように心臓を撃ち抜いてから突き落とすかもしれません。
このあたりの人間の判断について、医師の李啓充は週刊医学界新聞で『問題解決に「直接手を下す」手段が要求される場合,脳内の理性的思考に関わる領域だけでなく感情に関わる領域も活性化され,両者の活動の「バランス」の下に最終的判断が下される』と分析してます。
さらに『腹内側前前頭葉皮質(VMPC:ventromedial prefrontal cortex)に傷害のある患者は,トロリー問題に対して常人とは異なった判断を下すことも示された。』という事例が紹介されていることから、 切嗣は脳に疾患を抱えていた可能性が高い、という驚くべき結論に。

いかがでしたでしょうか。
既存のFate/Zeroレビューに一石を投じる「切嗣脳障害患者論」。奴は脳に障害を抱えたまま人を殺しまくる危険極まりない殺人者! でも裁判で精神鑑定したら無罪になるかも!

ちょ、やめて! 石を投げないで!

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コメント

今更だけど、このトロリー問題、今日(11/18)の『たけしの教育白書』(だったかな?)でも取り上げるらしく、中でも「この状況を「子供」に教えるとき、どうするか?」ってのがあるみたいで。
自分だけの話だったら「自ら陸橋に飛び降りて止める」なんだけど、こんなあくまで「理性的な」判断なんて大の大人でもできないだろうから、「問題に対面して精神的パニックによって硬直してしまって、自分は何もできなかった」と言っておけば「情」にほだされやすい日本人は同情してくれるんじゃない?って思った。あくまで保身、でもこれが人間の「本来ある」理性です。それこそ三浦綾子の「潮狩峠」の主人公みたいに、宗教観が仏の域に近づきつつある人間しか、「自己犠牲」は起こせませんよ、と。
自分の結論は、「この状況で他人を殺すなんてことを即断できる脳は、実は類まれなるものかもしれない。だってそんなときに平常心でいられる人間って政治家で、しかもそれのトップクラスですよ。」ってことです。
…こっちの方が石投げられるなw

投稿: りみ | 2008/11/18 16:17

>りみさん
まあ、ここで言いたいのは、そんな国家の行動にYesと言う人々でも、より多くの人命を救うためとはいえ直接自分の手を汚すことは「感情的に」Noと言うだろう、ってことかな。
これは理性では功利主義的立場にある人も、直接自分の手を下さなければならない場面に遭うと、カント的立場を取ってしまうとも言える。

まあもちろん、我らが切嗣サンは、どんな時でも信念を曲げないんでしょうけど!

投稿: 当麻令 | 2008/11/14 22:05

まぁまぁ…世の中にはもっと酷いロジックを持った「国」がありますからw
「己が正義を証明するためには、悪意無き人々を大量に殺さなくてはいけない。さぁ、どうする?」
→某国「正義を証明する方を選ぶ(大量殺戮)」
ですよ。普通なら国際的に非難されてもおかしくないのにその国が力を持っているため、出来ないんですよねぇ。
まぁ、フランスの革命の時なんか、ちょっとした名前の読み間違いで逮捕した無罪の少年を即ギロチンにかけても「あはは、よく間違えるんだよねぇ」で済まされる始末。だってギロチンを執行できる側が正義だから。
まぁ、うちが言えるのは「自分が正義、と疑わなくなったら負けだと思う」でございますw
ついでに、戦国案内所(戦国四季報のバナーもある)ところに「原爆投下」時のの国際情勢を詳しく説明されてて、如何に「日本に原爆を落とすべく国際連盟側(つか、某2国)が動いたか」分かりますよ。
自分右っぽくなっちゃった(汗)退却~w

投稿: りみ | 2008/11/14 10:13

>凪さん

まあ、オチはアレだけど、途中までは真面目に考察してたのよね…

切嗣の壊れた倫理観を解体して、我々のような一般人にも理解出来る様な見解を構築するのが、このエントリの目的だった筈なんだけど、どこで間違ったやら…w

投稿: 当麻令 | 2008/11/14 00:01

うん、おもしろい^^
まぁ彼の行動原理って言うか、
考え方は普通じゃないよなぁw
・・・でも脳疾患はやべぇなw

投稿: 凪 | 2008/11/13 19:39

>C
ちょ。
信者にブチ殺されるのでヤメテ…

投稿: 当麻令 | 2008/11/13 19:24

これは重要な思考実験だ!!

というわけで、2chのタイプムーン系考察スレにこちらへのリンクを張っておきますね^^

投稿: ミスターC | 2008/11/13 17:41

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