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2006年8月の記事

2006/08/25

日米スーパーヒーローよもやま話

スーパーマンリターンズ見てきました。
内容は・・・まあ、こんなもんですか。
30年前の映画シリーズの続きっぽく作ってあるので(直接的な続編ではないが)、予備知識なしで見ると「いきなりシリーズの2作目を見ちゃった感」にとらわれること請け合い。
映画全体に流れている空気も、昔のシリーズを過剰に意識している観がある。良く言えば懐かしい、悪く言えば古臭い、そんな映画。
トキカケの翌日に見てしまったので、「潤沢な予算で作った大味な映画」という印象を受けてしまったのかなあ。まあ、封切日だというのに半分も埋まってない座席が、世間の評価を表してますか・・・。

さて、前回の記事に頂いた、ゆうさんのコメントがちょっと面白いので考えてみた。
アメコミのスーパーヒーローに大人のキャラクターが多いのはなぜか、という話。
これは、逆に言えば我が国のヒーローに少年少女が多い、ということでもありますな。
比較文化論的な話になりますが、あちらの文化では子供というのは「大人のミニチュア」であり「未成熟な人間」という認識が一般的。
(近頃では「ジェネレーションX」のような例外はあるものの)彼らは「弱い人間」なので、通常は正義によって救われる立場であり、せいぜい「バットマン」におけるロビンのように、大人のスーパーヒーローを補佐する役割どまりです。

対して、我が国には伝統的に、未成熟なこと自体に価値を見出す文化があるようです。
桃太郎や牛若丸を持ち出すまでもなく、神話・伝承の類を見ても当たり前のように少年ヒーローが登場します。
彼らは未熟な能力を補う何らかの「異能」を得て、大人と対等に渡り合います。
これは、日米のヒーローの能力にも表れています。
日米とも、ヒーローは通常、特徴的な格好をしています。
しかし、アメコミのヒーローの場合、多くの場合それは「変装」であり、彼らの能力を左右しません。
クラーク・ケントもピーター・パーカーも、マントやマスクなしでその超常能力を発揮することができます。
(スポーンのネクロプラズミック・アーマーは「変装」とは言い難いですが、アル・シモンズの場合、本来の姿こそがスポーンであり、ヒューマンフォームは一種の変装なので例外)
一方、日本のヒーローの場合は、多くは「変身」であり、そのままではヒーロー能力を発揮できません。
これは、「変身」という行為が能力の獲得を意味しており、未熟な存在が力を得る=「成長」を暗喩していると思われます。
すなわち、日本の変身ヒーローは、アメコミのヒーローと異なり、最初から不完全な存在として定義されていると言えます。
これはなかなか興味深い。

また、ヒーローの戦いにも日米では本質的な違いがあります。
アメコミのヒーローは明快な「敵組織」というようなものと戦っているわけではなく、自らを「正義」の代行者に任じ、正義を脅かす悪と戦います。それは犯罪であり事故であり災害であります。
市民からの認知も高く、賞賛されたり敵視されたりします。
一方、日本のヒーローは特定の組織(または怪獣などの特定のカテゴリに属する敵)と戦っています。
どちらかといえば、「密かに平和を守っている」というイメージです。彼らは「平和」を脅かす「敵」と戦っているのであり、その戦いが終わればひっそりと日常へ埋没していきます。
ヒーローの異能は表立って喧伝すべきものではなく、必要に応じて目立たないよう行使されるべきもの、というイメージがあります。

これは、日米双方の軍事力に対するセルフイメージが投影されていると思われます。
アメリカのヒーローは「世界の警察」であり、正義の代行者でなくてはならなかったわけです。しかし、映画「スパイダーマン2」などに表れているように、イラク戦争以降そのイメージも変わりつつあるようですが。
この文脈でいけば、日本のヒーローは安保条約下の駐留米軍であり、自衛隊であるわけです。
当然、事件が起こるまで出動せず、その活動は割と秘密が多く、それなのに人々の平和を裏から支えているわけです。
一方で、かつて侵略戦争に荷担したという意識は、武力を持つことへの無意識的な恐怖となり、それを見事に制御してのける(身体能力的には一般人の)新しいヒーロー像が生まれました。
つまり、鉄人28号でありマジンガーZでありガンダムであるわけです。武力と意思を分割した有人操縦のロボット、すなわちシビリアン・コントロール下にある在日米軍や自衛隊が、新たなヒーロー像となったわけです。

話がズレてきたので、このへんで。
長い割に冗漫で、読みにくくなってしまいました。うーむ。

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2006/08/18

時をかける少女

イヤハー!
超ひさしぶりッス!
もうこんだけ空いちゃうと日記じゃないね。月記?隔月・・・?
・・・えろうすんません。

心を入れ替えて、今週からしばらくちゃんと書くよ!
とりあえず。

で、タイトルですが。
行ってきましたテアトル新宿。平日の昼間から環七ぶっとばして新宿。(夏休みです。サボリじゃないです)
つうかこの広い東京で、昼間はココでしかやってない映画って何さ。小劇場系ならともかく天下の角川ヘラルドですよ。くあー!(意味もなく絶叫)

つうかね。俺、この夏、アニメの映画見るの3本目なわけね。
・ブレイブストーリー → 濃い原作がお子様向け映画に変貌
・ゲド戦記 → 近年まれに見る超駄作
まあブレイブストーリーは、不覚にもおじさん、ちょっとジワっときちゃったりしたけどね。
ゲド戦記は、そりゃあもう凄いデキだったわけで。
この「時かけ」も、アニメ映画ってだけでちょいと身構えたりなんかしちゃったりしてね。
まあ、それは見てみればわかるはず。前評判はいいみたいだし。

・・・というわけでテアトル新宿。駐車場は無いから、紀伊国屋の裏のサブナードの公営駐車場につっこむ。
着いてみると、なんかね、入場制限とかやってるんだけど、最近のハイテクな映画館みたいに指定席とかじゃないわけね。
だもんで、席取りは結構命かかるね、コレは。次からは気をつけよう。
まあ、今回は割とよさげな場所を取れました。やや端っこだけど。
パンフレットはツレのセバスちゃんに、自分ののついでに買ってきていただく。
立ってる者は大家でも使えと言うもんね。
あ、そろそろ始まるね。

ブー。(上映開始)

・・・。
おお!?
・・・。
ぶはははは!
・・・。
おお・・・。
・・・・・・。
(じわー)
ぱちぱちぱち。

ブー。(上映終了)

いやなんつうかもうね。いい映画でした。
主人公の真琴ちゃんが馬鹿で可愛いっていうか、めっさ元気でね。
そこに兄ちゃん二人絡んでドリカム構成ってのは、筒井原作と同じなんだけどね。
キャラが21世紀ぽくて、でもどこか懐かしくて。
今回は完全新作ストーリーだったけど、骨子の部分は筒井原作をちゃんと受け継いでた。
原作が書かれたのは40年も前だって言うけど、青春の悩みとか葛藤とかって、不滅のテーマなんだと実感。
いやあ、面白かった。面白いだけじゃなく、ちゃんと残るものがあった。
最近ハズレ映画ばっかりだったけど、これは素直に人に進められるね。(見に行くの大変だけど)

・・・さて、明日はスーパーマンですよ?w

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